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林茂椿 空手道資介紹



私と空手道

初めて空手道という言葉を聞いたのは、1966年私の高校時代に、台中市の柔道聯誼會、武德館に於いて柔道を学んでいた時である。
ある日一人の痩せた小柄で、背広のズボンにパーカーを着て、男性の髪型をした日本女士が道場へ来た。紹介によると元来柔道2段であったが、体型の制限により先へ進めない、それで空手道を習って、現在は空手道3段の指導員であるとのこと(浅井哲彦先生の弟子)。
私も同感であった、自分の体重は49キロしかないからである。しかし大学の試験、続けて陸戦隊服役の為に休学したので、空手道とすれ違った。

退役後昼間は仕事、夜は勉強、結婚、子を産み、あっという間に7年が過ぎた。
ある日偶然に一人の友達が私に、私よりも5歳から10歳年上の友達が、台湾最高段の空手道先生による、特別クラスに参加するところだと云った。そして私にも参加するように勧めた。
ちょうどその時、自分の身体が非常に衰えていることを感じていたので、彼について道場へ行った。見ると台湾中部地区に於いて非常に有名な陳宏宗先生だと知り、即座に参加登録した。

陳先生は戦前の日本台中高等師範学校を成績優秀で卒業し、その母校の付属小学校の教師となった。さらに戦後第一回台湾全省運動会の国家代表選手である。そして中部五県市の中小学校体育教師の指導、更に台湾全省運動会の多項目の台中市代表隊の教練である。
日本の柔道、剣道、杖道、台湾の白鶴拳などの多種目武術の達人、そして空手道を導入し、創始に協力した人でもある。幸いにして当時空手道全世界の技術局長である浅井首席師範が、よく自費で台湾に指導に来ていたので、空手に対する理解がさらに一歩深まった。

更に当時は政府の戒厳時期であり、諸々の制限があり、またある特権人物が長期に至って空手道を独占しようという環境の下で、陳先生に追随し多くの先輩たちと共に、その艱難辛苦の隙間を縫って空手道を広める事に尽力した。
日本総本部浅井首席師範の支持をえて、私たちは松山区、南港区、台北市体育会空手道委員会を設立し、1990年に台北市代表隊を結成してドバイ空手道世界大会に参加し、男子団体4位の好成績を上げた。

後に時代の変転により空手道連盟及び日本武術空手道会IJKAが成立された。
1990年 岐阜
2001年 東京
2007年 沖縄における世界杯空手道大会に参加し無数の良い成績を得た。
2011年 台北市
2016年 台中市
2018年 上海に於いて浅井杯世界空手道フレンドシップ大会を開催し、同じ道を歩む同志達と共に浅井空手の力量を凝縮した。
2003年以後中国上海に於いて、浅井首席師範と陳宏宗主席師範、それに陳技術局長が前後して、多くの空手道教練を育て上げた。

現在、空手道学員数は中国空手道学員数の三分の一を占めている。
陳興桂局長は浅井首席師範の遺志をついで、毎年スイス、ドイツ、イタリー、中国などへ空手道技術講習会を開催している。
更に各国の空手道員達も、其の名を慕いはるか千里の道を、台北総本部道場哲彦館へ練習に来る。

此の40年来筆者は【台北市南港區體育會空手道委員會常務理事】【台北市體育會空手道委員會主任委員(会長)】【中華民國空手道聯盟副理事長】【IJKA総本部道場哲彦館國際事務部長】【IJKA China本部長】の役職に就任し、一路陳主席師範の指導の下、各試合大会、講習会、及び研修会に参加した。
未熟者の私しですが、武技をかさにした不肖なる学員が、社会に危害を与えないよう、武徳に対して怠ることなく、各種寄り合いに等、常に広く語り、社会に道徳力量を注入する事を忘れずにいる。

林 茂椿 2020.9.20敬筆