汪儒郁先生 空手道資介紹
私の空手道人生
汪儒郁 2020年9月1日台北にて
1978年の夏、大学を卒業し、私は正式に教師生涯を始めた。
思い起こせば、もう33年前の事である。
其の年、突如起きたその考えは、
私の一生で最も長い学習と修練の道を開いた。——私の空手道人生。
良く覚えています、1978年8月の夏休みに、私は順調に中学校の教師となった。
その時に感じた事は、自分の専門である絵画美術以外に、新しい目標を設けて、人生の夢を完成すべきであると。
私は別に目的もないままに、本屋をぶらついていた。
武術の本ばかりが私の目線を引いた。武術の達人になることは男の子達の夢ですから!
私は已に25歳である、ここで行動を起こさなければ、永遠に実現することができない遺憾事となるであろう。
それで私は空手道の本に一つの住所を見つけた。
台北市民生東路にある「全民道館」である。私は即刻、其処へ行き、入会の手続きを済ませて、私の空手道学習の道を開いた。
白帯から始めて、直突き、前蹴り、上げ受け…その非常に単純直接な動きに、思い切り身体を使い、汗水を振り払い、教練の号令について行く事は、心臓が強烈な衝撃を覚え、喉に湧きあがる気持ち悪い胃液、若しくは胆汁かなど重要ではない、鈍い身体を移動して、只教練の脚や拳を受け止める事が出来れば、それで収穫満々なのだ。
台湾徴兵制度の服役期間中、私は空手道の練習を中断しなかった。何時もあれこれ各式各様の口実を以て、休暇を貰い、バイクで「淡水」から台北市まで一時間以上の道程をかけて空手の授業を受けに行った。
1989年遂に昇段審査を通過し、黒帯を手にした。
主席師範陳宏宗師はおっしゃいました。「黒帯を得た事は、終わりではない、それは学生証を貰って、空手道を学習して良いと云う事だ」
それから、一度又一度の試合と、一個又一個の優勝カップを通じて、私は空手道の未知なる旅程へ努力邁進した。
私の恩師は首席師範浅井哲彦師範、主席師範陳宏宗師範及び陳興桂師である。
その師範方の無私無欲なる教導によって、私は空手道武学の「奥儀」を窺き見る事が出来た。
浅井師範は真の大師である。厳しくて優しく、師のいる所、全て道場であり、弟子達に対しては、段位の分別無く、全て永遠に白帯である。師の導きの元、一度又一度と空手道を新しく認識した。道衣を着替えた後、師はとても和やかで優しく、何時もその堅固なる笑顔で、私達を認めて下さった。
師の離世はあらゆる人達に尽きぬ思慕をもたらしたのみならず、人類文明の大きな損失である。
陳宏宗師は多方面の才能を持っていて、全方位的な導師である。その鋭く敏感な「覚察」及び判断力は、教導に於いて、問題を「直指」し、要点を切中する事が出来る。その一言一言が、生徒たち終生に用いることができ、師の教導は只空手のみならず、武学、更には人生の哲学である。
33年の長きに至って、私の空手道を指導して下さったのは、陳興桂師である、師は私達を、巨人の肩に乗って更に遠くを見る事を教えた。穏健実質的な教導風格、ユーモアに満ちた明朗な個性は浅井先生の空手道の革新理念を継承しているだけでなく、更には皆が崇拝し追随を望む導師である。
私が教えている幾つかの学校で、私は空手道社団を設立した。子供達が全心及び情熱を投じて、学習しているのを見て、私は非常に感動するばかるである。
私が長期に渡って空手道を教えた結果、2004年の中小学空手道大会に於いて、中学女子団体優勝と中学男子団体二位という輝かしい成績を獲得した。
今私は已に60歳となり、年齢で言えば老境に入る事になる。然し私は体力が仕事に負荷できないからと引退などしない。私は40歳の壮年のように感じて毎日出勤し必ず、固定しているスケジュール通り道場へ行き練習をする。身体は増々柔軟になり、力量に対する感覚も増々鋭敏となった、此れ等全ての事は空手道を拝受した賜物である。もっと確実に言えることは、私の空手道の師匠方が私に正確な指導をして下さり、私を高深なる武術の世界に於いて前進を継続させてくださったのである。
2018年8月、私は陳興桂師に従って空手道の指導の為要請されて上海に行った。見習教練として、私は広大なる世界を目のあたりに見た、そしてあの頃の私と同じ、夢を抱いた若人達と知り合った。
私は師の足並みに従い今日まで歩いて来て、空手道で以て、武術愛好者と知り合う幸運に恵まれた、此の国境と年齢の分け隔てのない世界は、私の空手道人生を円満に導いてくれると信じている。
譯: 浅井恵子