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城所 俊行 先生 紹介

1961年、8月28日生まれ
本籍 日本愛知県
日本麗澤大学卒業


「私の空手道人生」

2019.9.27記入

No1

大学より空手道を始めた。
きっかけは、高校時代の同級生が空手キチガイで「麗沢大学」に入れば強い空手が出来るぞ!と言われた事です。(その彼は、自分で小さな道場を持ち今でも指導を行なっています。) 高校時代は公式野球部でそれなりに一生懸命頑張ってつもりでしたが、次にやるなら個人競技をやってみたかった。
40年前の大学空手部です、今から考えればちょっと異常な世界でありましたが強さへの憧れがあったと思います。
自分の大学は初心者が多い事も有り、当時師範である大石武士先生の方針でほぼ基本の練習のみでした。
夏春の合宿では、基本しか記憶にありません。大学では先輩達が日本空手協会の試合ではかなり、良い成績を残されましたが残念ながら私自体は大した戦績を残す事は出来ませんでした。 卒業後 東京の道場で練習して台湾に仕事の関係で赴任後 今の「全民道館」にて練習を続けています。

年齢とともに空手道に対する考え方が間違いなく変わってきていると思います。 人それぞれ肉体的能力の差・また空手に対する考え方等違うことを認識できるようになっています。
私自身は、強さより自分のカラダに対する理解とともに空手の技・術への探求をさらに深めたいと思っています。


No2

私は、大学時代より空手をはじめ(18歳より)いろいろな先生・先輩・後輩との出会いがあり、自分自身の人生の糧になっていることを最近よく思います。
卒業後の道場には、JKAの全日本大会指定選手等がいて練習環境には非常に恵まれていました。
その後、仕事の都合で台湾に来たのが25年ほど前になると思います。
偶然会社の近くに「全民道館」があり、訪ねて練習をはじめました。当時は、1年ほど練習に間がありましたが多少なり元気があって、道場の生徒との練習では多少激に走ることも有りましたが、道場主である陳宏宗先生・陳興桂先生は寛容に扱ってくれたことに感謝の気持ちを持っています。
 また、浅井先生に直接指導を仰ぐことが出来、私の空手道人生において大きなインパクト(刺激)を与えられたのも事実です。指導時、浅井先生がみんなの前で技を見せる際相手をさせられた時、何をされているのわからない!これほど不安なことはありません。
日本においては、浅井先生のことを「あれは、空手ではない!」といわれる人もいます。(あまりにもかけ離れた技なので)
また、「常人の真似できることではない!」「無理だ!」とも。
 私も50歳になり、今でも「稽古で汗を流す」ことが好きです。そして私自身の目標に向かって進んでいきたいと思います。
また、空手道でいろいろ自分自身に与えられたものを返していきたいと思います。

城所俊行

思い出 浅井哲彦師範

昇段審査の時、東京の日本空手協会本部道場審査席の真中にいた審査長の浅井先生は、時々自分の顔を見るが大体は視線を落として脚だけを見ていた。
途中から視線を上げたことをはっきり印象に残った。
僕たちのレベルでは、浅井先生にお会いできるのは年に一、二回の大会の時、一番最後の決勝戦の時に出られてその審判ぶりを見る事が出来るだけである。
後に先生に脚だけ見て審査するのは何故かと尋ねたら、その脚を見ただけでその人のレベルが分かるのだとおっしゃっていた。
その時はちょうど脚の技を研究していた時だったそうだ。

その頃の先生方は、それぞれの審判のスタイルがあった。多くの人は浅井先生の独特のスタイルを真似する人がいた。
二、三年前に先生が説明してくれた事は、先生は手の掌を上に向けて審判点数をとるのはその人の懸命に試合において得た点数に敬意を表して差し上げるという気持ちがあっての形であって、ただの動作の癖ではないという事がとっても印象に残っている。
その手の掌を上に向けるのと下に向けるのでは意味が違う、だから審判の時は手の掌を上に向けるものだと、丁寧に優しく説明してくれた。

浅井先生の実際の空手の技について、僕が本部道場に練習に通っていた時、何人かの先生方が云っていた事だが「お前は信じないかもしれないが、浅井先生の技はどんなにすごいかと云うと、相手の蹴りの下をもぐる等と、相手の蹴りの脚の上に乗っかったりする事だ。」
鞭拳など知らない技など効き目あるのかなと思ったりしたが、その先生達は、「それで瓦の三枚や四枚は軽く割るのだ」と云っていた。
浅井先生の一挙一動は全て伝説となる。

陳宏宗先生は何時もあと10年生きてくれたら日本や世界の空手は変わるだろうと云っている。
浅井先生の空手は理解できなくて拒否する人がいるので、あと10年必要なのだ。
ある人は浅井先生の空手は関節を活用した技と云うが、確かにそれもあるが僕は浅井先生が台湾へ指導にいらっしゃる毎に、直接向き合って教えてくれた時、あの組手のスーット入って来るところがすごい技だと最近分かった。
あの微妙なタイミングは不可能な技であり、その微妙なタイミングの技から更にいろいろな技にひろがる。
浅井先生は絶対退る事は考えていないからだと僕は思う。
浅井先生の空手の技を最も理解しているのは陳宏宗先生だと思う。だからこれから陳先生に一生懸命習って少しでも浅井先生の技に近づくのが僕の空手の道です。

飛行機の中で練習するのには参ったと、空手の先輩が云っていた。

城所俊行