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上海からメールが届きました。

尊敬的浅井母:

好!

将本人申加入IJKA的原因及相行的告。

2003-4年,在浅井母的安排下,以及相助商的支持下我和其他几位能有机会在中国上海到已故浅井范,并且参加了他建立的行空手道。

浅井范安排了台湾的桂范我行指。

我本人非常感激浅井范夫,同一直把桂范作我的空手道的老。

浅井范在上海建立了JKS/IJKA中国本部和上海支部。2006年范仙逝后,由台湾范承了些并且教我行。在个程中,IJKA中国本部,上海支部不再被提及。当我并不了解具体情况。

2011年,台湾范了JKS, 他并没有要求我同脱,我自然承了JKS中国本部和上海支部,同也得到了日本JKS部的。我本人JKS中国本部。在2011-2016年期,我本人尽力展空手道事,在推广程中使用JKS-CHINA名。年5月在上海的国和段位,同12月参加日本部的。但是作私人系,我保持和台湾范的私交。我是合的。

2016年12月3日,本人参加JKS部,部范明告知:因我本人和IJKA的系,致中国本部格。我当行申,清楚公事和私人系的区。JKS部明告知,即使是私人系也会被利用行不利的行。

(在本次活中,JKS部也取消其他个大国的本部地位。)

随后,国部部直接向的30名中国成宣布了一情况,并口告知:

1.今后任何取得段位格的者可直接向部申支部格。

2.很多是系的,不能参与的任何活。

我本人尊重JKS部范的决定,我没有参加之后的任何活,在12月5日回到上海之后,我将JKS的决定(公告)到了中国境内一个具有JKS会格的成。同也宣布JKS-CHINA束作,并妥善解决了善后事宜。

在完成上述工作以后,我本人以件形式向JKS部表:

1.我尊重他的决定。

2.我也感他之前我的支持。

3.我本人脱JKS.

我本人脱JKS一个月之后,我正式申加入IJKA.

在此期我并没有公的号召任何人追随我去任何。

期有不少人因各原因我及我的行各非。

我:任何口上的争,都会致空手道事的失。都会影到浅井哲彦范体系的名誉。正如浅井范的:来者不拒,去者不留。

我本人持当到范的初心!



李渊深

2017年1月12日




譯文:

私本人がIJKAに加入する原因及びそれに関する経過を簡単に報告します。

2003-4年 浅井師範奥様の手配の元、及び賛助企業の支持のもと、私と其の他数人の者が、中国上海に於いて、故浅井師範とお会いできる機会が有り、且つ、師範が設立した組織に参加し、空手の練習をしました。

浅井師範は台湾の陳興桂師範を私達の空手道指導者に当てて下さいました。

私本人は非常に浅井師範ご夫婦に感謝いたしました。

浅井師範は、上海に於いて、JKSとIJKAの中国本部と上海支部を設立しました。

2006年、浅井師範が逝去なされた後、台湾の師範により、私達はこの組織を継続して続けて練習を進めていました。

此の過程に於いて、IJKA中国本部、上海支部はなんの連絡も無くなりました。

その時私達は、具体的状況を何も解っていませんでした。

2011年台湾師範達はJKSを離れました。彼等は私達に対して同じ様に離脱する事を要求しませんでした。私達は自然にJKS中国本部と上海支部を継承する事になり、JKS総本部の認可を得ました。

私本人は、JKS中国本部の責任者となりました。

2011〜2016年の期間中、私本人は、空手の発展に力を盡しました。

此の様な過程に於いて、JKS-CHINAの名義で、毎年5月に上海に於いて、国際講習会及び段位審査を行いました。

同時に12月には、会員達を引率して、日本総本部の講習会に参加致しました。

しかし、私は個人的に台湾の師範達と交流を続けました。此の事は、当たり前の事だと思いました。
2016年12月3日、私がJKS総本部の練習に参加した時、総本部師範達は、はっきりと私に告げました。

私のIJKAとの関係が中国本部の資格凍結を招いたのだと。

私は其の場ですぐ申訴しました。公私をはっきり分けて下さいと。

しかしJKS総本部は明確に告知しました。
個人関係であっても、不利な行為を行う為に利用されると。
(今回の活動中にJKS総本部は、やはり其の他二か国の大国の本部を取り消しました。)

其の後、国際部長が現場にいた中国30名の空手会員達に向かって、直接此の事を宣告し、また口頭でも下記のことを告知しました。

1、今迄段位資格を得た者は直接総本部に支部資格を申請する事ができる。
2、多くの組織は、敵対関係の組織である、此のたぐいの組織の如何なる活動に参加するべからず。

私本人は、JKS総本部師範達の決定を尊重します。

しかし12月5日上海に戻った後、私はJKSの決定を公告し、中国境内の全てのJKS会員資格を有する者にも伝送しました。

同時にJKS−CHINAがその運営を終了した事を宣言しました。並びに事後の処理を善処しました。

上述の作業を完成させた後、私は郵送にてJKS総本部に下記のことを表達しました。

1、私は、彼等の決定を尊重します。
2、私は、彼等の今迄の私への支持を感謝します。
3、私本人はJKSを離脱します。

私がJKSを離れた一か月後、私は正式にIJKA 加入の申請をします。
此の期間中私は、公に誰にも呼びかけせず、誰にも私に追随して、如何なる組織に参加する様に呼びかけていません。
此の期間中に多くの人が、色々の原因のもと私、及び私の団体に対して各種の誹謗を行ないました。

私が思うに、如何なる口論も空手道の損失となり、浅井哲彦師範関係の名誉に悪影響を与える事になると。

故に浅井先生がおっしゃった「来る者は拒まず、去る者は追わず」。

私本人は当時浅井師範にお会いした時の初心を堅持致します。

李渊深

2017年1月12日

■上海の主催者側から報告が有りました

報告(原文)=>感恩,也感大家的支持! ——2017年IJKA上海会

訳文:
  • タイトル
    1. 師の恩に感謝、皆さんの御支持にも感謝!2017年IJKA上海講習会総終結。
  • 写真一枚目(上段)
    1. 2017-06-01 空手道((※1)松濤館流)
        2017年の五月一日、小連休時、私達は三日間のIJKA技術講習、段位審査、及び同系一連の活動を行った。
  • 写真二枚目(下段)
    1. 松寿体育を、国内に於いて早期に、伝統空手道を広めた団体として、私達の発展経歴には、各種各様の紆余曲折があった。
      そして、非常に豊富で精彩なる物語があった。
      そこで、我々は此の度の講習会及び同系列活動を過去よりも、更に有意義に果たす事に力を入れた。
      最初に技術講習会及び段位審査の主講師範は、IJKA技術局長の陳興桂である。
  • 写真三枚目(下段)
    1. 私達が習ったのは、浅井哲彦師範開創の非常に特色のある(※1)松濤館流空手である。
      陳興桂師範は、浅井哲彦師範及び、陳宏宗(九段)師範から学ぶ。
      2004年「松寿体育」は、正式に浅井体系空手道に加入した。
      即、陳師範を主体とし、其の他の師範を率いて、私達に空手技術を伝授し、空手道技術の子弟関係が建立されたのである。
  • 写真四枚目(下段)
    1. 陳師範は此の7,8年の長い期間、心を込めて、一代の空手道教練を育成し、後に紆余曲折を経て、今日此れ等の者達は同一系列に あらずとも、師の恩に感謝する心は皆同じである。


※1 誤:松濤館流空手 正:浅井空手